比較 昭和30年代の日本とマニラ

寒汰は2002年2月から10年間毎月フィリピンに買春旅行に通っていたが、先月は「古狸よ」店長もとい新田店長に激しくそのことを叱責され、罰として一ヶ月間臭皇で働くことを命じられた。

本店店長に命令されるオーナーというのも情けないが、食のことは一切知らず、経営もド素人で、店の邪魔ばかりしている寒汰だから仕方ないだろう。臭皇を支えているのは明確に「古狸よ」店長だからである。

一ヶ月の罰当番が終わった寒汰は先週末、マニラ入りしたようである。どれだけ怒られても一切反省しないのは寒汰らしいといえよう。

寒汰の珍ブログ、魔尼羅盗撮バージン(仮名)も4月から一ヶ月以上新エントリが入らないままである。抱腹絶倒の珍ネタを提供してくれる魔尼羅盗撮バージンの新エントリを我々寒汰リークスプロジェクトのメンバーのみならず、その他の反寒汰グループの方々も皆が楽しみに待っている。

一日も早い魔尼羅盗撮バージンの再開することを心より期待している。

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幻想の中の40年前の日本でも書いたが、21世紀の現代フィリピンと、昭和三十年代の日本が似ているという奇っ怪なことを言う人間が釧路にいる。

子供ながら昭和三十年代を生で見た人間として再度はっきり言わせていただくが、現代のフィリピンと昭和30年代の日本は全く違う。昭和30年代の日本というなら、アメリカナイズされたフィリピンより、アジアのテイストが残るインドネシアの方が日本に近いように思うし、そもそも日本の田舎や東京でも空襲で焼け残った地区にいけば昭和三十年代を思わせるものはいくらでもある。

日本の昭和30年代

現在のマニラ

そういう本物の昭和の匂いをさしおいて、現代フィリピンのどこが昭和三十年代の日本に似ているというのか。寒汰の珍説がいかにおかしいか分からない方はぜひ猿ピン人さんのブログエントリ「昔の日本の様だ」をご覧頂きたい。

以下に一部抜粋させていただく。

よく、フィリピン人妻の旦那さんで日本に住んでいるフィリピン人をまともに知らない人の台詞に昔の日本の様だという人がお見えになります。

多分見た目が、ぼろい家に住み生きているからそう見えるのでしょう。

さすが、旅行者!

上辺だけしか見えていない代名詞のような台詞ですわ。

筆者が思っていたことをずばり的確に表現してくださっている。そう、寒汰は上っ面、ほんの表面上しかみていないのである。

この猿ピンさんのブログは非常に面白いので、上辺だけでない真実のフィリピンを知りたい方はお読みいただくことを強くおすすめする。

なお、hatoyaさんのコメントもご紹介させていただく。

フィリピンが昭和三十年代の日本似ていると書く人は

寒汰以外も セブ旅行のサイトのおっさんとか結構いる。

でも 木造住宅の屋根はトタンではなく日本は瓦
トライシキッド、トライシクル、ジプニーではなく
日本は 自転車、オート三輪が走っていた。
(釧路はコークス運びの馬車が昭和42年頃でも)

日本の街では未だに町ごとの
公共バスケットコートもなく、市や区に 闘鶏場もない。
昭和30年代の水田に ヤシも植えてないし、
水牛やアヒルも 奄美と占領下の沖縄位だろう。

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映画(DVD)で見る昭和風俗。

前のコメントであげた石井輝男のシリーズに
当時の東京、横浜の街並みと
売春防止法施行以降の風俗業が出てくるが
全く マニラ首都圏の街並みと違う

白線秘密地帯(昭和33年9月21日、新東宝)
ロケ地 上野、東京下町の洲崎・町屋・三河島 。
いわゆるもぐり売春の白線、当時のトルコ風呂が出てくる。
トルコ風呂は制服で 手コキまで。
この頃米兵が1ドル(360円)で買春。
http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=138457

黒線地帯(昭和35年1月13日、新東宝)昭和35年
ロケ新宿 横浜 `海軍キャバレー`が出てくる。
この頃野坂昭如が新宿のチョンの間で買春 500円。
http://www.geocities.jp/zak00336/page26.htm
http://www.discas.net/netdvd/dvd/goodsDetail.do?titleID=0088057134

黄線地帯(昭和35年月29日、新東宝)
映画では 神戸だが 横浜がロケ地。
スーザン・ケネディのセミヌード。
http://www.discas.net/netdvd/dvd/goodsDetail.do?pT=0&titleID=0088057145

セクシー地帯(昭和36年1月9日、新東宝)
銀座 浅草 銀座の四丁目や日劇、旧丸ビル 築地川
新橋駅前コールガール組織 首都高が出来る前の東京。
http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=139744

今村昌平 `豚と軍艦`
昭和36年公開 横須賀市。
劇中、長門裕之が米兵に 1000円でオネーちゃん斡旋。
http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=139770

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昭和33年の赤線動画。

記録映画『赤線』・ネオンきらめく吉原 昭和33年

記録映画『赤線』・東京パレス(小岩)  昭和33年

記録映画『赤線』・東京江東区 洲崎パラダイス 昭和33年


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昭和33年当時の広島市。
二十四時間の情事   公開1959年6月10日

Hiroshima mon amour – chapitre 2

Hiroshima mon amour – chapitre 4

Hiroshima mon amour – chapitre 7

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現在のNCRの動画と比較。

フィリピン・マニラ

2011 Manila Day 5

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*白線
売春防止法施行1956年(昭和31年)5月24日以降の違法売春の通称。
現在のフィリピンだとカーサ(売春窟)と街娼。

宮城タマヨ議員の発言にもある。

参議院会議録情報
旅館業法の一部を改正する法律案
昭和三十二年四月二十二日(月曜日)
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/026/0600/02604220600001c.html

*黒線
主に暴力団によって管理された売春組織による売春の通称。
現在のフィリピンだと人身売買による一部のカーサ。

売春を強要するラブ・シティグループも入るかも?
つまり 寒汰が拒否なしに 買春できる可能性高い。

*黄線
電話で接触するコールガールの通称。
現在のフィリピンだと エスコート・サービス。
現役モデルや時には女優もいて 料金共に高レベル。
でも コトバのできない寒汰には無理。

感受性が全く欠落した基地外でもない我々は上記の動画を見ると、つくづく現代のマニラはやはり21世紀の現代で、昭和30年代は全く違う時代だとしみじみとわかる。

だいたい日本の昭和30年代に大型ショッピングモールがあったというのか。流線型のスタイリッシュなデザインの高級車が街なかを走ってたというのか、大量のジープが走ってたというのか、セブンイレブンやミニマートが街のそこら中にあったというのか。

どこからどうみても昭和30年代の日本と現代のマニラは全然違う。

これが一緒に見えるというのならば、子供の頃の記憶を書き換えているとしか思えない。

そういえば、釧路に住むある「御仁」(吾人ではない)は、パスポートも持っていなかった若いころ、南仏とイタリアを気ままに旅していたと吹聴しているそうだ。

英語も一切できず、いまだにアンヘレスにすら一人で行けないほど旅行に無知な男が、どこでどうやったら南仏とイタリアを気ままに旅していたというのか。そもそもパスポート無しでどうやって国外に出たというのか。

記憶改変術が得意な寒汰は、空気もなくクレーターだらけの月世界さえ、売春婦さえいれば昭和三十年代の日本とそっくりだと言い張ると思えてくるのである。

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「臭橋◯至、高橋◯至、臭橋◯至、高◯順至、臭橋順◯、◯橋順至、高橋◯至!臭橋順◯はネットオタクで凄い!」寒汰は今日も、釧路町木場にあるホーマックで千枚通しを買いながら奇っ怪な声をあげていた。

勾践(こうせん)氏(仮名)や周囲の人間はまゆをひそめながら、この狂人を嘲るように見下ろしていた。

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寒汰の迷惑行為による被害者一覧

寒汰物語の過去の人気エントリのリストはこちらをご覧下さい。

他人のパスポートや個人情報を晒して喜ぶ寒汰の悪質な行為についてはこちらのエントリをご覧下さい。

パスポートや個人情報をさらす行為

寒汰が過去に行なってきたストーカー行為については下記のエントリをご覧下さい。

女子高生ストーカー事件(実話)

この世に生を受けたばかりの赤ん坊を侮辱し、死んだ方をパスポートをネットで晒し冒涜する寒汰の非人道的行為については下記のエントリを御覧ください。

死者への冒涜

人の誕生と人間としての矜持

絶句レベルの寒汰の公開オナニーの詳細に関しては以下のエントリを御覧ください。

絶句!釧路臭皇・公開オナニー事件

伝説の寝たきり男と寒汰の対決は下記のエントリを御覧ください。

寝たきり男 I

寝たきり男 II

無敵の男 II – マニラベイカフェ(MBC)

マニラでも指折りの美味しい料理が味わえるレストラン、大虎の情報はこちらをご参照ください。

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About plastictakata
暗黒の国フィリピンやパッツン天国タイでばら撒き、自主パト、凸凹するのが趣味の57歳のオサーンです

11 Responses to 比較 昭和30年代の日本とマニラ

  1. yosuke says:

    二枚目の【現在のマニラ写真】のような場所を、バンコクで初めて見た時、恥ずかしいですが、実は私も(あ〜なんか懐かしな~)なんて感じていました…(^^;) 猿ピン人様のブログで、自分は上っ面だけしか見ていない、ただの旅行者と痛感しました。古い建物の部分が目に焼き付いただけで、他は全く見えていない…なんだか自分の心を見透かされたかの様なテーマでした。このブログは楽しさ半分、怖さ半分で、(イタイおじさんにならない為の指南書)として読ませて頂いておりますm(–)m

    • この二枚目の写真のような風景で、yosuke さんや他の人が「懐かしい」と思うことは事実で、それはそれで尊重すべきことだと思ってます。
      どのあたりに「懐かしさ」を感じられますか? 古い建物ですか?他に何かありますでしょうか?
      どうして感じ方に違いがあるのかに私は強い興味を持っています。

      まあ、だからといって、寒汰のように「マニラは昭和三十年代の日本そっくりなんじゃよ。俺は世紀の大発見をしたんじゃよ。ゲヒヒヒ」と言い出したら、頭がおかしいのかな、と思ってしまうかもしれませんがw

      猿ピンさんのブログは私も怖さ半分で読んでいますw
      自分の愚かさや視野の狭さを知るためにはああいうブログは読まないといけないですね。

      今後も一緒に勉強させていただければ幸いです。

  2. けんと says:

    昭和30年代ではないですが自分的には、バラックがいっぱいある光景っていうのは懐かしい感じもします。
    あ、自分昭和51年生まれですが、トタン屋根・壁の家とかは見たことはあります。
    でも、基礎もあって、木造が多いです。
    とはいえ、新興住宅街などだときれいな家が多いですが、古くからあるところだとバラックっぽくも見えなくはないところはありますね。(あくまで色彩的にで、つまりはバラックではないですw)

    今すんでいる横須賀にも遊郭はありました。(自分が引っ越す前には潰えてましたが)
    ただ、日本の遊郭って結構区画整理されていて、周りからはいりにくく作られているのが基本だとは思います。
    実際にいけた遊郭は横浜橋(正確には跡地)と川崎堀ノ内・南町、大阪の飛田新地と今里新地ですか。青線の黄金町ってのもありましたね(ここは入ったことが何度もw)
    ※中にははいってないです、飛田以外はバケモノばかりですw
    どこも、地形的に入りにくい造りがされていると思います。

    どこにも日本と同じ町なんてないと思いますけどね。
    日本が偉いということではなく、その国の文化が町には写るし、それを楽しむのもひとつだと思います。
    もし、その町に日本のような懐かしさがあると感じたら、勝手なその人の錯覚かもしれないです。

    もっとも、吉原遊郭の映像をみて、写真で見るソイカウボーイのネオンを想像してしまいましたがwww
    懐かしさはないですけどね。今の吉原はアソコまで派手にはできないですし。
    昭和30年でも、東京と地方では違いは多くあるでしょうが、寒い場所と常夏で同じ臭いがするとは到底思えないですね。

    • なるほど、バラックがたくさんあると懐かしく思うんですね。
      でも、昭和三十年代ってバラックが象徴的でしたっけ?
      瓦の屋根の家と鉄筋コンクリートのビルが一番多かったと記憶してるんですがww

      日本の伝統的な遊郭と、フィリピンの風俗は全く違いますね〜w
      これが一緒に思えるのはやっぱり釧路のキチガイぐらいですよw

      あと、けんとさんが鋭いのは「臭い」ですね。
      日本の臭いとフィリピンの臭い、あるいは湿気も全く違いますが、ニノイ・アキノ国際空港のカビ臭いエアコンの臭いを「サンパギータの香り」と表現する寒汰(ようは嗅覚が一切ない)には、そんなことが感じられるわけもないですねw

      • けんと says:

        三重県の片田舎だと、瓦屋根の家は普通にありますが、壁が地味な印象ですね。壁がトタンだと、青に若干緑を加えたような地味な濃さがある感じが灰色か・・・。土壁でもそんな感じですね。
        鉄筋・鉄骨のビルっていうと、駅前のジャスコですかねえ。高くても4階までですかね。
        一応特急停車駅でしたが、町を少し抜けると田んぼだらけでしたし。あとは港周辺が古い感じですかね。
        大きな町に行ったとしても、商店街があるくらいで、ビルって言うような記憶はないですし。
        まあ、東京にはじめていったのが昭和58年でしたが、たまげましたからw。
        だいたい、マックができたのが昭和60年くらいじゃないですかね?ロッテリアがその少し前くらい。

        臭いは結構いろいろと覚えますね。
        バンコクに行ったとき、2回目以降では「あ、バンコクに着たんだ」って思えるようになりましたし。
        いまだに、小学校の校舎の臭いとかおぼえてますねw。
        釧路には3回くらいいってますが(泊ったのは1回だけですが)、あんまり印象ないです。

      • フィリピンに瓦屋根の家はないですからね。
        寒汰の幻想の中ではあるのかもしれませんが。

        ビルも今のマニラではビジネス街で現代的な高層ビルが摩天楼を形成していますが、それが昭和30年代の日本のどこにあったか知りたいですね。

        田んぼも日本の整然とした田んぼとフィリピンの田んぼは明らかに違いますね。

        今のフィリピンではそこら中にマクドナルド、ファミリーマート、セブンイレブン、スターバックスがありますが、昭和30年代の日本のどこにセブンイレブンやスタバがあったのか知りたいです。
        ちなみにマクドナルドが日本に来たのは昭和40年代の後半ですね。

        けんとさんがおっしゃるとおり、臭いってものすごい象徴的ですよね。嗅覚が一切ない寒汰にはそれを感じることは不可能なんでしょうけど。

        釧路はもう3回もいらしてるんですね。今度行った時はぜひ臭色ラーメンの感想をきかせてくださいw

  3. yosuke says:

    いつも丁寧な返信をありがとうございますm(–)m ま~昭和30年代という例えは確かに飛び過ぎてますよね(苦笑)さて、【二枚目の写真の風景】から感じる個人的な懐かしさをお話しします。初めてバンコクを訪れた時、ファランポーン~ヤワラート~王宮のルートを日中に歩き回りました。すると、例の写真の様な風景がそこら中にありますよね?この時に目に入ったのが(人の営み)でした。お母さんやおばあちゃんが子供の世話をしたり、お店や屋台を出したり、お父さんが家の軒先で新聞読んだり、将棋みたいな物?してたり(笑)家の玄関は開けっぱなしで中が少し見えたり、石鹸や洗剤の匂いが漂ったり…古く錆びたちょっと朽ちた感じの建物が景色にとてもマッチして、自分が育った田舎の小学生だった頃の夏休みの風景と何かリンクする物を僕は感じました。それと、中学生の時に世界地理が大好きで、教科書の別冊であったオールカラーの冊子をよくみてました。そこでみた【東南アジアの街角】に自分が今いるんだな~なんて思ったりもして、単純に嬉しさもありました。それもまた懐かしさの要因なのかな?なんて思います(^^;)だだし…夜はナナプラザで別のショックも受けましたけど(爆)

    • なるほど。密集した住宅地、大家族などの人の営みが懐かしさを感じさせるのですね。
      それは確かにありそうですね。
      まあ、それがフィリピン特有とは全く思いませんし(今回もタイの話ですしね)、日本でもそういうところはいくらでも残ってると思いますがw

      石鹸、洗剤の臭いは私は賛成できません。タイでもフィリピンでも使ってる洗剤はやはり現代のものなので、「あー、このいまいち趣味の悪い香料の石鹸の臭い。外国だなあ」と思うことはあっても、日本の昔は感じないですね。

      私も地理、歴史は大好きで(まあ、全科目好きだったんですがw)、教科書も別冊も読みまくってました。
      東南アジアについては写真の記載がほとんどなかった気もしますが、タイの下町が典型的な東南アジアの香りを持っているのはたしかでしょうね。

      まあ、フィリピンが日本の昭和三十年代と同じという妄想とは関係ないですがw

      ナナ・プラザはショックでしたね。フィリピンごときの55で喜んでいた自分にもちょうどよいカルチャーショックでしたw

      • けんと says:

        フィリピンで石鹸というと、これを思い出しますw
        http://item.rakuten.co.jp/luire/bcsfbp000/
        ラジオライフ系の本ではじめて見つけたのですが、フィリピン系食材店で売っていたので、自分で使うのに買ったことがありますw。

      • pHですかwwww
        まあ、これは厳密には石鹸ではないですよねw
        フェミニンシャンプーというべきかと思います。
        これも日本ではほとんどみないので、フィリピン(東南アジア)特有ですよね。

        寒汰(さむた)の脳内では昭和30年代の日本にもあったことになってるんでしょうけどww

      • pH Care ですかwwww
        まあ、これは厳密には石鹸ではないですよねw
        フェミニンシャンプーというべきかと思います。
        これも日本ではほとんどみないので、フィリピン(東南アジア)特有ですよね。

        寒汰(さむた)の脳内では昭和30年代の日本にもあったことになってるんでしょうけどww

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