フィリピンの建築物

シャブを打った直後の人間のように相手の気持ちも考えず一方的にまくし立てる寒汰は、エダモト(仮名)トラベルのスタッフがまかないを食べ終わってもまだしゃべり続けていた。

さすがのエダモト(仮名)トラベルのスタッフも露骨に嫌そうな顔をするのだが、他人の気持ちが一切理解出来ない寒汰は全く気にする様子がなかった。

「いいか?俺は食材と建築の専門家なんだよ。だから食材と建築に詳しい知恵オタクなんだ。どうだ?俺は凄いだろう?尊敬しただろう?ゲヒヒヒ」

寒汰は現在飲食店の社長であるし、かつて建築関係の仕事をしていて、自分ではどちらの分野にも詳しいと思い込んでいる。

が、不思議なことに寒汰はどの分野よりも、自分の専門分野のはずの食材や建築、鉄道に関しては他の分野より圧倒的に勘違いが多かった。

はっきり言って、寒汰の食材、建築、鉄道の知識はど素人以下である。

これは、恐らく寒汰の勘違い癖から来るのであろう。

「俺、食材の専門家。ゲヒヒ。だから俺が考えてること、なんでも正しい。ゲヒヒヒヒ。」

元々謙虚さのかけらもなく、一を見て10を勘違いする寒汰であるが、ことのほか自分が得意だと思っている分野に関してはそれが特に酷いのだ。

だから寒汰は自分が得意だと思っている分野ほど貧弱な知識、間違った知識しかないのだ。

元「あ・魔尼羅(マニラ)」(仮名)メンバーの9ウーマン氏からそういう分析をよく聞かされているエダモト(仮名)トラベルのスタッフは、建築関係の話と聞いてまた勘違い話を聞かされるのかと、げんなりした。

.

「ゲヒヒヒ。まずな、俺はな、フィリピンがスペインの植民地だったって知ってるんだ。どうだ? 俺は博識だろう? 知恵オタクだろう? 尊敬しただろう?ゲヒヒヒ」

寒汰は当ブログや9ウーマン氏に「フィリピンの歴史を偉そうに語っているのにスペインの植民地だったことすら知らない」と散々バカにされたので、さすがにフィリピンがスペインの植民地だったことは覚えたようだ。

頭の悪い寒汰にしては上出来な方だな、と、エダモト(仮名)トラベルのスタッフは意外に思った。

しかし、次の言葉はやはり無知オタク寒汰の面目躍如であった。

.

「フィリピンの建築物はな、中国の影響が多かったんだ。そこに、スペインが侵攻して、建築物がスペイン様式に変わって行ったんだ。どうだ? 俺は博識だろう? 知恵オタクだろう?俺を尊敬しただろう?ゲヒヒヒヒ」

ああ、また適当な当てずっぽうを言っているな、とエダモト(仮名)トラベルのスタッフは思った。

こんないい加減な当てずっぽうを鵜呑みにするのは、あの頭の弱い takeshi (仮名)くらいである。

だいたい、スペインがフィリピンに進出し始めた16世紀当時、フィリピンの建築物が中国様式だったという証拠はない。

むしろ、15世紀以降、スペインの支配権に入るまでフィリピンはマラッカとの交易で栄え、ルソン島などにブルネイの影響下にある街が多く誕生した。

言語的、人種的な判断からも、当時のフィリピンはマレー圏の一部であったと判断するのが妥当だろう。

(たとえば行政単位を意味する言葉として今も残っている「バランガイ」は元はマレー語である)

それを何が当時のフィリピンの建物は中国式だった、などといい加減なことを言うのか。

寒汰のおおよその思考回路は想像がつく。

極端に頭が悪く、地理にも弱い寒汰はフィリピンの隣国は国しかないと思っているのだ。

マレーシア(ブルネイ)やインドネシアの方がフィリピンに遥かに近く、マレー人が航海技術に長けていることなど、寒汰には思いもよらなかった。

アイヌ人の祖先はスペイン人だったなどと荒唐無稽なことを言い出すキチガイの歴史知識はおよそ正しいことの方が少なかった。

(続く)

About plastictakata
暗黒の国フィリピンやパッツン天国タイでばら撒き、自主パト、凸凹するのが趣味の57歳のオサーンです

4 Responses to フィリピンの建築物

  1. 芋洗坂係長 says:

    マレーシアはもともとは中国領土だったのです!www

    • 寒汰の脳内ではそうなんでしょうね。
      一度彼に世界地図を書かせてみたいものです。

      それでも、マレーシアはまだ時々寒汰のブログにも出てくるのですが、インドネシアは完全に抜け落ちているようです。
      また、ベトナム、マレーシアやインドネシアの旧宗主国に関しては全く知識がないようです。
      全部スペインと思っているのかなw

      まさに無知の悲しみですね。

  2. KJ says:

    この件ではTwitterで振って頂いたのに移動日だったためにご返事できなくてw
    こちらでコメントを。
    氏の言うところのパサイの一角。
    行ったことがないので判断しようがありません。
    ただ、氏のことなら写真を載せても良さそうな物を?

    当然以前から中国との交流はあり、中華寺院、中華学校は地方都市にもあります。
    マレーシアにも中華とマレー文化の融合したペラナカン文化がありますし。
    何らかの影響はあっておかしくない。
    ただ実効支配していたスペインと、交易のあった中国とでは影響力の差は大かと。
    さらに高温多湿な気候の上に維持管理が不得手なフィリピン、スペイン支配の前の15世紀の物が残っているとも考えにくいですね。

    それに昔のフィリピンってニッパハウスかバンブーハウスじゃないんですか?(暴論?)
    世界遺産のSan Augastin教会だって最初はニッパハウスだったとか?

    日本で言う中華街に行って中華っぽい建物見て騒いでるんちゃうの?というのが氏のエントリーへの感想でした。

    • プロの目からの感想、ありがとうございます。

      そう、15世紀といえば、中国は明代ですが、その当時の建築物は今は中国では貴重な遺跡です。
      もちろん木造です。
      その当時の中国式建築物がフィリピンに残っているとすれば、大騒ぎなんですが。

      そう、中華っぽい建物を見て、勝手に「スペイン以前の建築物が残ってる!」と妄想して騒いでるだけでしょうね。
      スペイン植民時代であっても中国からの影響はあったと思いますよ。
      というか、むしろ中国の海外への進出が強まるのはスペイン植民以降だと思いますよ。

      今回調べてみましたが、当時の航海技術の問題もあって明代以前は圧倒的にマラッカやアラブの影響が強かったようです。
      そもそも、フィリピン人自体人種的にも言語的にもオーストロネシア、つまりマレー系ですしね。

      「中華街に行って中華っぽい建物見て騒いでる」レベルで、どうしてあそこまで偉そうに決め付けて書けるのか不思議です。
      まあ奴が勘違いブログを書き続ける限り、寒汰リークスプロジェクトのモチベーションは下がりませんねw

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