誰でもスーパーマンになれる I

寒汰ブログの人気

寒汰は喜んでいた。大いに喜んでいた。

いまだかつて人生でこんなに快感を味わったことはなかった。

10代前半の若い女と金さえ払えば、凸凹できるからだけではない。

寒汰が注目を浴びているからである。そしてあまつさえ尊敬すら受けているからである。

寒汰がフィリピンに通うようになって書きだしたブログ、魔尼羅(マニラ)盗撮バージンはフィリピン買春界の中でも有名なブログになっていた。

ブログの中身はカガヤンデオロ旅行記に代表されるように、とんでもない間違い、勝手な妄想や寒汰の想像だらけ、たまに書いてある情報は旅行者なら誰でも知っている当たり前の情報だった。

フィリピン買春界の大物であるデビルマウンテン氏(別名スプリングフィールド)や郊外者氏、ガラクタ氏をはじめとするベテラン組はこぞって寒汰ブログを馬鹿にし、嘲笑っていた。

しかし、ことは意外な方向に発展する。

寒汰ブログを「すごい!」と評価し寒汰を尊敬する者が少なからず現れたのだ。

これには当の寒汰でさえ驚いた。

寒汰は海外旅行経験もなければ英語は勿論タガログ語もほとんど話せなかったし、フィリピン国内線に一人でのる度胸すらない臆病者だった。

その上、政治も経済も文化もろくに知識がなく、さらに肝心の文章力もなくて凄まじくひどい悪文を書いていた。

しかし!フィリピン嵌りの日本人の少なからぬ層はその寒汰の知ったかぶりさえ見抜けぬレベルだった。

そして寒汰を「凄い!フィリピン買春界のエースブロガー!」と褒めたたえはじめたのである。

こんなことは寒汰が生まれてこの方初めてであった。

寒汰の学生時代

寒汰は生まれつき頭も悪く体の動きも鈍く、唯一のとりえといえば異常に粘着質な性格くらいであった。

しかしあまりに周囲にいじめられすぎた心のバランスをとるためか、いつしか本人の低能力とは全く逆に

「自分は全知全能の人間である」

と、妄想するようになっていたのである。

実際のところ、寒汰は左脳も右脳も人一倍劣っており、知能指数は知的障害すれすれのIQ86であった。

ちなみにフィリピン人の平均IQも86であり、それは寒汰とフィリピンの親和性の一つであったのかもしれない。

寒汰は数学が非常に弱く、少数入りの掛け算割り算は18歳になっても正確にできなかった。

学校でテストを行うと寒汰はいつも10分で「俺、できた!俺、天才!」と叫んでいたが、その解答用紙には子供の落書きのようなものが書かれているだけなことを同級生は皆知っていた。

寒汰は物理化学に至っては全く理解していなかったが、勉強をしている同級生に無理やり教えようとすることで有名であった。もちろん、基本的な法則すら理解していない寒汰が教えられるわけがないのだが、教えるふりをすることで格好をつけたかっただけなのだろう。もちろん、寒汰の説明は全くの無茶苦茶なので、同級生たちは寒汰がそばに来ると皆、急いで勉強道具を持って逃げ出した。

寒汰は文系科目も異常に弱かった。

主語述語がある文章を高校卒業時点になっても書くことができなかった。心無い同級生たちからは「お前はアイヌだから日本語も分からないのか」と虐められた。

(※ 現実のアイヌの方は日本人と同等に日本語を理解します。寒汰の日本語能力が異常に低いのは民族の問題ではなく全くの個人の問題です)

その虐めがあまりにひどかったせいか、寒汰はいつしか作文というと新聞の社説を切り貼りして書くようになった。しかし、寒汰の場合、国語能力が低すぎたため、切り貼りの際文章の構文を完全に崩してしまい、主語も述語もない文章や、流れが全くおかしな文章しか出来上がらなかった。

釧路臭東高校(くしろくさひがしこうこう)の職員室ではいつも教師たちがこの問題児の過剰な見栄っ張りと、あまりに低い能力に頭を悩ませていた。

英語は寒汰は全く出来なかった。高校卒業時点でようやくアルファベットが全て書けるようになったくらいである。

地理、歴史については他の科目以上に悲惨であった。

寒汰は正しい地理や歴史を習ってもすぐに頭の中の妄想とすり替えるのだった。

「イスラム教があった。スペインがからローマ帝国がイスラム教徒を追い出した。それがレコンキスタ。」

などと、ローマ帝国の誕生を千年以上、そしてイスラム教の誕生とキリスト教の誕生、スペインの成立を全部逆さまの順番に妄想した。日本トップクラスの名教師と呼声高い歴史教師のメディカルクラウド先生がいくら丁寧に分かりやすく教えても、寒汰は全部順番を逆に覚えてしまうのだ。これには名先生のメディカルクラウド先生も心身衰弱になってしまった。

寒汰の地理感覚もすごかった。寒汰は高校卒業時でも北海道地図すらまともに描くことはできなかった。

札幌と釧路、稚内の位置関係もよくわかっていなかった。さらに、恐ろしいことにスペインが北海道のすぐとなりにあると思い込んでいた。気候区分や海流などに至ってはそもそもそれが何たるかすら理解できるわけがなかった。

そんな寒汰であるから、釧路臭東高校開校以来最低の成績をとり続けた。なんと高校三年間全てのテストの成績をあわせても、69点しかとれなかったのである。

「俺は賢い!賢すぎてセンコーの奴らが俺の賢さを理解出来ないんだ!」

と嘯く寒汰であったが、やはり心のどこかでは自分の頭の悪さを悟っていたのであろう。

テストの結果が返却されるたびに大声で校舎内で怒鳴り散らしていたのは釧路臭東高校に今も伝わる伝説である。

寒汰の再評価

そんな寒汰が他人から「すごい!」「賢い!」と言われはじめたのである。

寒汰は感動した。涙を流して感動した。

「ついに俺の時代が来た」

と思った。

寒汰の国語力が別にあがったわけではない。相変わらず日本語のまともな構文も作れなかった。

そして高校時代と変わらず新聞記事や Wikipedia の文章を切り貼りして悦に浸っていた。

切り貼りする際、述語が抜けたり文章の接続が完全におかしくなり、文章の体を全くなしていなかったが寒汰に気づくわけもなかった。

寒汰は我々が思う以上に低能だったである。

しかし、少なからぬ数のフィリピンフリークはそれ以上に低能であった。

彼らは寒汰ブログを見ていたく感銘をうけていた。

「なんだか、俺が理解出来ない難しい言葉を使っている。この寒汰さんはきっと天才に違いない!凄まじく頭がよいに違いない!ジーク寒汰!ハイル寒汰!寒汰万歳!」

この読者たちは見たことがない難しい言葉をみるだけで、それを書いた人間は頭がよいと自動的に思い込むのであった。文章が実際は滅茶苦茶かどうかを判別する能力はなかった。

例えて言うなら、英単語を無茶苦茶に並べているだけの人間をみて「すげー!ネイティブだ!」と思い込むのとレベルが同じである。

子供だましに騙される子供レベルだったのである。

ともかく、寒汰は嬉しかった。心の底から嬉しかった。

「俺、天才!」と思っていたのに、成績も悪く同級生からも馬鹿にされ、大人からも知恵遅れ扱いされた寒汰であったがようやく自分を認めてくれる人間に出会ったのである。

寒汰は思った。「俺、やはり天才!俺、文学家!俺の文章、格調高い!俺、偉い!」

そして調子にのった寒汰はもっと難しい言葉を使ってさらにかっこつけようと、凄まじい珍語を生み出していった。

(続く)

About plastictakata
暗黒の国フィリピンやパッツン天国タイでばら撒き、自主パト、凸凹するのが趣味の57歳のオサーンです

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。