前原裕子先生 – カラオケ(KTV)編 VIII

寒汰は感動していた。

ここはこの世の天国かと思っていた。

日本で生きてきて45年。今まで凸凹できたのは、新宿の歌舞伎町のソープランド・トリコモナスで50歳過ぎのおばさんに嫌々やらせてもらっただけである。

ススキノのソープではソープ嬢に裸足に逃げ出され、生まれて初めて若い(といっても実は35歳の子持ちの主婦だったが)女性に手を握ってもらったフィリピンパブ「マンゴークィーン」では

「アナタ、マジメするナ!スケベダメな!」

と言われ、凸凹どころか一度のチューすらさせてもらえなかったのである。

それが、この魔尼羅では数千円の金額で簡単に10代の若い娘と凸凹できるのである。

寒汰は狂った。ここはこの世の天国かと思った。

 

もちろん、寒汰は高級クラブでも、カラオケ(KTV)でも、ゴーゴーバーでも、ひたすらお持ち帰りは拒否され続け、結局持ち帰れたのは女の子が拒否することが許されない置屋だけであったのだが、そのあたりの逸話については後日紹介したいと思う。

ともあれ、寒汰は今までの45年間の鬱憤をぶつけるかのごとく、凸凹しまくりまくった。

朝から晩まで徹底的に凸凹しまくった。

置屋から車で5分ほどのホテル「穴トリウム」(※ 魔尼羅の日本食レストラン「ネタ元」のマグロ子おばちゃん推薦のホテルである)に泊まり、一日10回以上ホテルと置屋を往復した。

そんなに何回も往復せざるを得なかったのは理由がある。

実は、どの女の子も寒汰と複数回凸凹することを激しく拒否したからである。

ただでさえ臭くて汚く気持ち悪い上に異常に性欲のある男である。

凸凹が拒否できない置屋に勤める娘でも寒汰と凸凹するのだけは嫌で嫌で仕方なかった。

中には凸凹が終わると服もろくに着ずに逃げ出す娘さえいた。

したがって、寒汰は凸凹を何回もするためには次々に女の子を買わなければならなかったのである。

すぐに寒汰は置屋で最も悪名高い客になった。そして、どの娘も寒汰が来ると思いっきり嫌な顔をするようになった。

しかし寒汰はそんなことは全くお構いなしに次々に犠牲者を選定して、ホテルに連れて帰るのであった。

ちなみに、寒汰はホテルまで帰る交通費も惜しんでいた。だから、嫌がる女の子をいつも無理やり15分歩かせていた。

さらに、チップは10ペソ単位で値切っていた。

 

ここで、寒汰のこの異常なケチぶりについて少し解説せねばならない。

寒汰が尋常ならざるケチであるのは読者の皆さんも既に御存知のとおりである。

彼がここまでキチガイじみたケチになったのには、彼の生い立ちに理由がある。

寒汰は1958年、北海道・釧路の地で少数民族ア◯ヌの子供として生を受けた。

我々、東京などの大都会で育った者には全く分からないのだが、北海道ではまだ少数民族◯イヌに対する差別が残っている。

寒汰も子供の頃からそんな差別される環境の中に居た。

しかし、寒汰は出自がアイ◯という以前に、人間的に致命的な欠点がさまざまにあり、むしろそれが彼がいじめられる大きな理由であったようだ。

寒汰は子供の頃、ア◯ヌの子供たちと一緒に雑魚寝する共同生活を送っていたのだが、その中で激しくいじめられていた。

「◯イヌの恥」「汚い」「臭い」

は寒汰が呼ばれる時の枕詞となっていた。

寒汰がそうやって同民族であるアイ◯の子供にすらいじめられる理由は多分に彼の人間性に問題があったからだが生来の責任転嫁癖が強い寒汰はそれを勘違いした。

「俺、実は◯イヌの王子! 俺、王子なのを他の奴らが妬んでるだけ!俺、本当は偉い!俺、偉いぃぃぃ!」

寒汰は自分がアイ◯の王子であると思い込み、そして自分がいじめられるのはその高貴な血筋ゆえだと思い込むことで心のバランスをとっていたようだ。

 

後に、寒汰のこの妄想はさらに肥大化し、寒汰は自分が中国皇帝の末裔であるア◯ヌ氏族の王子で、天が正義をこの世に実現するために遣わされた正義の体現者なのだと思い込むようになる。

寒汰は中国語も全く出来ないのに、異常に中国びいきになったのも、この妄想を信じこむようになってからである。

念の為に言っておくがもちろん、そんなアイヌ人が中国皇帝の末裔だという事実も、寒汰が王子だという事実も、ましてや寒汰が天からの使者だという事実も全くない。

また、その少数民族としての意識が在日朝鮮人・韓国人への対抗意識とつながった。

寒汰は激しく在日朝鮮人・韓国人を憎み、自分が不幸な原因は全て在日朝鮮人・韓国人のせいだと思い込み、彼らを激しく攻撃するようになっていた。

もちろん、多くの場合、寒汰は無残に仕返しされて泣きべそをかいていたのだが、それがさらに寒汰の在日朝鮮人・韓国人への憎悪を募らせることとなった。

頭が悪く、動きも鈍い寒汰は、子供同士の喧嘩でもまず勝てることがなかったのだが、彼は奇妙な思考回路をもつようになっていた。

それはたとえ喧嘩に無残に負けても

「俺、本当は強い!でも、わざと負けてやった!俺、精神的に勝った!俺、偉い!!俺、偉すぎるぅぅぅう!」

と思い込むことで喧嘩にまけて惨めになった自分を納得させる術であった。

この阿Q正伝の阿Qの精神勝利法にも等しい凄まじく都合のよい思考回路はますます寒汰の人間性を悪化させることとなった。

 

共同生活を送る同じアイ◯民族の子供たち、その親達、そして自分の母親にさえすっかり呆れ果てられていた寒汰であったが、唯一人からほめられたことがあった。

それが、例の異常なケチぶりであった。

彼は子供の頃から衣服、下着も含めて数カ月は同じものを着続けた。いくら寒い釧路の地とはいえ、数ヶ月も着れば異常な臭気が漂い、一緒に雑魚寝をしなければならない他の子供達からは激しくいじめられることとなった。

ただ、彼が密かに憧れていた小学校の先生、前原裕子先生(後に某映像業界に「女優」として転職)が嫌味でこう言ったことがあった。

「寒汰くんは、いつも同じ服ね。学校の給食も夜食としてタッパにつめて持って帰ることがあるし。」

「ふ〜(溜息)、先生、本当に呆れるわ。寒汰くんはどうしてそんなんことするのかしら?」

「節約して家計に貢献しているとでも思っているのかしらね。」

それは子供たちにも明らかにそれと分かる嫌味であったが、生まれてこの方、ほとんど人から褒められることのなかった寒汰にはそれが至高の褒め言葉に聞こえた。

その日から寒汰のケチぶりは拍車がかかり、毎日ゴミ箱を漁っては他人が捨てた食べ物を「もったいない」と食べ、学習用具は絶対に自分では買わず、他人が捨てた鉛筆やノートを使用した。

食費を節約するため、小学校の給食をタッパに大量につめて帰り、それをその日の夕食とすることももはや毎日となった。

共同生活を一緒に送る◯イヌの子供からは「アイ◯の恥だ!やめろ!」と厳しく言われたが、

大好きな前原裕子先生(後に某映像業界に女優として転職)にケチぶりを褒められたと勘違いしている寒汰は絶対にその異常な行為をやめることはなかった。

その後、寒汰は前原裕子先生を押し倒して、強姦未遂事件を起こす。

ショックを受けた彼女は教師をやめ、某映像業界に女優として転職していくことになる。

しかし寒汰は前原裕子が教師をやめざるを得なかった理由が

「強姦未遂事件」

と、聞いても、それは当の自分が引き起こした事件のことだと考えもせず、彼の不倶戴天の敵である在日朝鮮人・韓国人の陰謀であると固く信じていた。

ともあれ、寒汰のトラウマに固く結びついているケチぶりと、在日朝鮮人・韓国人への激しい憎悪は年ととって和らぐどころかますます激しものとなっていった。

大人になった寒汰のケチぶりがどのくらい凄まじいかというと、先に紹介した腐ったバナナ事件が有名であるが、それ以外にも、釧路盗電事件というのがあった。

 

これは、大人になった寒汰が、凄まじくオンボロの掘っ建て小屋で営んでいた飲食店「臭皇(くさおう)」で起きた事件である。

凄まじいオンボロの掘っ建て小屋の店構えと「臭皇(くさおう)」の「皇」の字は全く吊り合わないのだが、このアンバランスさが寒汰のなすことにはすべからくつきまとわっていた。

もちろん、店の名前を「臭皇(くさおう)」としたのは、寒汰が自分は中国皇帝の末裔だと根拠なく妄想していることによる。

当時、このオンボロ飲食店「臭皇(くさおう)」で当時雇われていた元ホームレスのアルバイト、ムササビ◯という男が居た。

このムササビ◯という男が自分の携帯電話を店のコンセントから充電していた。

それを寒汰が見つけて激怒したのである。

「お前、店の電気、使う!これ、犯罪!俺、怒る!」

電気自動車の充電をしても電気代など数百円程度なのである。

携帯電話の充電の電気代など数円レベルであろう。

しかし、出すものは唾でもおしいという、キチガイじみたドケチの寒汰にとって数円の電気代といえども従業員が使うことは許せなかったのである。

アルバイトのムササビ◯をクビにするどころではなく、警察に駆け込んだのである。

「恐ろしい強盗犯が俺の店に押し入った!店の電気を無断で143秒で使った!」

もちろん、釧路の町で寒汰の異常さは警察にもよく知られており、警察も全くまともにはとりあわなかったのだが、

そうすると今度は寒汰は「警察が在日朝鮮人に乗っ取られている!大変だ!日本で革命が起きる!」と、

ありとあらゆる報道機関に通報したことでちょっとした騒ぎとなった。

この時以来、釧路市近辺では寒汰のドケチぶりを知らない人間はいなくなり、ますます寒汰は人から嫌われたが、興味本位で寒汰の作る異常に臭い食品を食べにオンボロ飲食店「臭皇(くさおう)」に来る人間があらわれ、むしろ寒汰の店の売上はあがった。

それもあり、寒汰のケチっぷりにはますます拍車がかかったのである。

 

ここで話が元に戻る。

魔尼羅で買春するようになってからも寒汰の異常なケチぶりは治らなかった。

いや、むしろ激しくなったと言ってもよい。

10ペソ単位で値引きを迫る寒汰は女の子たちから蛇蝎のように嫌われまくったが、英語もタガログ語も全く話せない、いや、それ以上にそもそもコミュニケーション能力に根本的な欠陥がある寒汰は自分が嫌われていることに全く気づいてはいなかった。

むしろ、今ままで全くできなかった凸凹を若い娘と出来るようになったことで、自分はフィリピン人に大いに気に入られているのだと思っていた。

(※ 寒汰の幼少の頃の共同生活や、従業員が電気のコンセントを使うことを「電気代がもったいない」と禁じた逸話は寒汰が自分自身でブログに書いています。)

(続く)

About plastictakata
暗黒の国フィリピンやパッツン天国タイでばら撒き、自主パト、凸凹するのが趣味の57歳のオサーンです

2 Responses to 前原裕子先生 – カラオケ(KTV)編 VIII

  1. キーニャオ says:

    僕のアジアで買春するおっさんのイメージはクーロン黒沢さんが書いた本で紹介されているバックパッカーなんですよ。
    なので、カンボジアで歩いて置屋に行って、凄く値切るというものと思っていたのに、実際にお会いした方は何故か高田さんをはじめ、タンブンしまくる方ばかりでびっくりした記憶があります。

    そういう意味では、寒汰さんこそ、僕のイメージする海外買春スーパースターですね。

    • 魔尼羅でも、そういうドケチ節約系のオサーンはたくさんいますね。
      ま、それはそれでいいと思うのですが、ケチリたくない派手に遊びたい人にもその価値観を押し付けてくるのが不快ですねw
      「あいつ、俺より金使った!あいつ、バカ!俺、節約家!俺、偉すぎるぅぅううう!」

      その勝手な押し付けっぷりは、ある意味スーパースターですw

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